アイドルグループ欅坂46を世に出した秋元康さん(61)については「とてつもない人」と尊敬せざるをえない。
40代のころホリエモンや楽天の三木谷さんの成功をみて、「俺にもできる」ととんでもない勘違いをして失敗、しょせん甘い気持ちで始めた“会社ごっこ”に終わった。「お金を稼がないのは社長として最低」と身に染みて感じたが、気付いたのが遅すぎた。夢をもって入社してくれた社員たちが「会社の成長を楽しみにしてたのに…」と失望しながら去っていった姿を思い出すたびに、「このまま生きていていいんだろうか」と絶望した。ただ、自分の人生にけじめをつける勇気がないまま、ダラダラと生きながらえているのが、このブログを書いている俺である。
秋元さんはアイドルビジネスで成功し、いまやたくさんの音楽家やエンタメ関係者を食わしている。そして「アイドルになりたい!」という少女たちの夢をかなえている。
先日、テレビ東京の佐久間宣行プロデューサーがパーソナリティーを務めるニッポン放送のラジオ番組に秋元さんがゲスト出演していた。
(なお、アイキャッチ画像は、ニッポン放送「佐久間宣行の東京ドリームエンターテインメント」出演した秋元康氏 (C)ニッポン放送)
秋元さんは大学生のころ、同局で構成作家のアルバイトをしたことがスタートだったことや、作詞家のデビューは「タコローダンシング」(とんでも戦士ムテキングの挿入歌)だったが、プロフィールにはAlfeeの「言葉にしたくない天気」を書いていた(そのほうがカッコいいから)などといったエピソードを語っていた。
学生アルバイトからエンタメ界の巨人まで1代で登り詰めた伝説の人。
作詞の才能もさることながら、仕事ぶりも超人。自らがプロデュースしているAKBや坂道グループのほとんどの楽曲は秋元さんが作詞している。一体、どのくらいの数になるんだろう?
「Wikipedia」によると、作詞家としてこれまで4,000曲以上を世に送り出してきたといい、シングルの総売上は歴代1位。また、100曲を超える作品がチャート1位となっており、その数も歴代1位だという。
自分もそうだが、てちや欅坂46のファンだと、秋元さんに「もっと彼女たちに寄り添ってほしい」と注文したくなるが、無理な相談だったろう。
唐突だけど、ラーメン店にたとえるなら、俺たちが期待するのはがんこ、こだわりの店主が生み出す逸品だ。「一杯」に命をかける。1曲のパフォーマンスに命賭けになるてちや欅坂に似ているような気がする。
でも、秋元さんが取り組んでいるのはそうじゃない。たとえるなら「カップヌードル」アイドルだと思っている。
日清食品の創業者で、チキンラーメンやカップヌードルの生みの親、安藤百福さんに生前、取材でお目にかかったことがある。戦後まだ貧しかった人々のために、安くておいしくて、お湯をかけるだけで簡単につくれる“魔法の食べ物”を開発することに人生をかけた。一杯に命をかけるのもロマンなら、大勢にリーズナブルな食を提供するのもまたロマンだろう。
後者のはずの秋元さんだが、てちの才能をたたえる言葉を随所で残している。また、てちのために入魂の楽曲をいくつも提供してきたように思える。秋元さんにとっても、てちや欅坂46との楽曲作りはエクスタシーを感じるような“ぜいたく”な時間だったのではないだろうか。
でも、秋元さんにはいつまでもぜいたくな時間を過ごさせるわけにはいかない。秋元コンツェルンのトップとしてひとりの天才だけにこだわっている暇はないのだ。
たしか長濱ねるが「自分がしたいこと」と「今、しなければいけないこと」、どちらを選ぶべきかで悩み、新宿2丁目の“おねえ”に相談したことがあった。ねるは「したいこと」を選択した。
秋元さんには選択肢は「しなければいけないこと」しかありえなかった。秋元さんのおかげで食っていける音楽家たち、エンタメ関係者たち、アイドルに夢をいだく少女たち、そしてアイドルを追っかけたい青少年たちが待っているのだから。
そう考えていくと、秋元さんはてちにずいぶん寄り添ってくれたのかもしれない。「脱退」でファンは悲しんだが、そろそろ潮時、いいタイミングだったのかもしれない、とさえ思えてきた。
(この項おわり)