平手友梨奈にはまって1か月(6)

 いまやエンタメ界のガリバーとしてそびえたつ秋元康さん。

 欅坂46の代表的な楽曲「不協和音」について、「メンバーの仲があまりにいいので、あえてこうした曲をつくってみた」といった趣旨の発言をしていたとニュースサイトで読んだ。なんだか、仲がいいことを望んでいないみたいな物言いだなと思った。

 メンバー内で「いじめ」があったという、暴露記事も読んだ。それはそうだよね。どんなにつらくても外ではファンたちに明るい笑顔を届けなくちゃいけない、悩みやフラストレーションの行き場は内側しかないもの。しかも10代の若いエネルギーが爆発する。もっと大人になっていくと、世渡りとかいろいろ覚えていくけど、このころの年代なら、まだ直線的にぶつかりあうんだろう。そこを、うまくコントロールしたり、ケアするのが大人の、運営側の役割だけど、秋元さんはそうした生あったかい関係は望んでなかったのだろうか。

 たしかにドラマって、ドロドロした人間関係から生まれる。そのドラマがエキセントリックならエキセントリックなほど、いい詩ができる。

まあ、俺の勝手な妄想だけどね。

 妄想ついでに長濱ねるのことも考えてみた。オーディションでは平手以上の評価だったという。

だが、家庭の事情などで最終審査を欠席し、その後特例で合流するものの、本体の欅坂ではなく、アンダーのひらがなけやきとの兼任となった。だれかの記事で、デビューまで十分な時間があったのだから、あえて別のグループをつくって、ねるだけ切り離す必要がなかったのではないか、と疑問を呈していた人がいた。

 だが、これこそ、ねるのために用意された「舞台装置」ではなかったか。ねるが評価とおりの逸材なら、必ずアンダーから這い上がってくるが、特別扱いのねるに嫌悪感を抱くメンバーもきっと出るだろう。いいぞ! それをどう乗り越えていくのか、ねるの成長物語はいいドラマになりそうだ…ってことを考えていなかったのか。

 ついでに「てち&ねる」。

両雄並び立たず、という言葉がある。2人が熾烈なセンター争いをしたら…と秋元さん、ワクワクしていたのかな。

 AKBよりはるか以前、秋元さんらがプロデュースした「おニャン子クラブ」で人気を二分していた国生さゆりと新田恵利の2人が犬猿の仲だったことは有名な話だ。おニャン子解散後も、2人の不仲の真相は?とさんざん話題になったし、何十年もたってから「あのときの真相を激白!」とか「●十年ぶりに和解!」とか、バラエティー番組の企画が何本もつくれるほど。

 「てち&ねる」もライバル心むき出しで争ってくれたらその後もおいしい企画がつくれる…ってはずが、2人仲良しになってしまった。

 仲良しはいらないんだよな。てちは、もっと孤立させ、悩み、もがき、あがき、傷つけなくちゃいけない。ドラマの主人公ってそうだろ。

だから、ねるはもう用無し。「卒業」してくれて構わない…と思っていたかどうかは知らないけど、卒業してしまった。

 もうひとり、織田奈那のことも考えてみた。脱退てちと同時に卒業した子。冠番組「欅って書けない」を見ると、明るく温かい人柄。他のメンバーからも慕われている感じがした。MCのツッチーはラジオで、織田のことを「永世中立国スイスみたいな子。女の子同士ってグループが生まれるけど、織田はどこのグループにも属していない。でも、どのグループにも属しているみたいな感じで付き合える」といった趣旨の言葉を述べ、卒業をねぎらっていた。

 こういう子がいると、グループってまとまるよね。でも、不幸なことに、写真誌に撮られて活動休止から卒業になってしまった。後から振り返ると、どんどん、てちを追い詰める方向に物事が進んだように思えてしまう。

 こうしたことを、つらつら妄想しながら秋元さんに対して、「おい、どうしてもっと、てちを守ってやらないんだ」と憤慨する気持ちをもっていたが、ちょっと違うかもしれないと思いなおしている。

 天才とは狂気のはざまで覚醒するものなのか。追い詰められ傷ついたてちと、そこからインスピレーションを受け詩に思いを叩き込んだ秋元さん。

 結果、神曲を言われる「黒い羊」や、やがて伝説になるだろう東京ドームライブのラストを飾った「角を曲がる」という名曲を生んだ二人。案外、心のどこかで互いの才能に共鳴し、リスペクトしあっているのではないだろうか、と思えてきた。