きょうは「身辺雑記」、ちょっと愚痴っぽくなるかもしれません。
3月いっぱいで「派遣」契約が切れ、無職になりました。
この2年間、ネットニュースの媒体でお世話になりました。21年間新聞記者として生きてきたので、久しぶりに見た「編集局」のたたずまいは、もう「勝手知ったる我が家」といった感じでしたね。すぐ馴染めました。
ネットニュース以外の雑用が主な仕事でしたが、ライターが足りないと、ネットニュース要員として駆り出されることがありました。現役を引退して10年近く、ペンはさびついてましたが、「元記者のくせにネットニュースも書けないのか」と言われたくなくて最初のころは必死でしたね。ほかのライターさんたちの原稿を読んだり、表現をマネしてみたり。そのうちに「ああ、書くことが好きだったんだな」と思い出しました。
このブログ(以前の“もう一度記者志願”も…)を書くきっかけにもなりました。だから、メディアで働かせてもらって「感謝」しかないですね。
もし働いてなければ、平手友梨奈のことも、欅坂46(現・櫻坂46)のことも知らないままだったでしょう。てち脱退ニュースが流れたあの日、「夜勤」につきながら、翌日付の紙面に大きく取り上げられているのを見て「何これ? たかが秋元アイドルでしょ。大げさな…」と、ほぼほぼスルーしてました。その後、「ネットニュースをたまに担当するから、アイドルのことも多少は知っておこうか」くらいの軽いノリで欅坂46にふれたことが、自分の(残り少ない)人生を変える出来事になると予想もしてませんでした。
重ね重ね、「感謝」しかないですね。
欅坂46の配信ライブの告知や、ゆっかーのエピソードなどを書いたこともありました。少しでも応援になれば、という思いを込めました。
ただ、ネットニュースの現場を近くから見ていて、あぜん、りつ然とすることが多かったですね。
「え、裏取らないの?」
「情報の断片しかないよ。どうして補足取材しないの?」
「これ、どこがニュースなの?」
コロナ禍のもと、取材の形も変わってきています。今後ますますコピベ記事、こたつ記者が跋扈しそうと実感していました。「もう限界…」という気持ちが強くなり、仕事へのモチベーションが切れてきました。(何か書くなら、自分のブログだけにしたいと思いました)
だから、いい潮時でもありました。
ちょうど会社側も経費節減しなければいけない事態だったんでしょう。「派遣」(数人いました)は全員3月末をもって切られました。
「BAN」されたわけですね。
櫻坂46の2ndシングルが心に染みます。彼女たちの勇気、明るさ、強さにパワーをもらっています。いつまでも応援しようと思います。
海外に長く住んでいるとき、桜を見たかった。はかなく可憐で美しい。
だが、散っても必ず翌年、満開の姿を見せてくれる強さを秘めている。
櫻坂と桜に勇気をもらって生きていきたい。