「キズナ感謝祭」のことでもうひとつ。
てちは政治上の大事件「バカヤロー解散」を知らなかった。
てち18歳、 そういう時代かもね。
kあや
(SOLの卒業式のとき)
とーやま校長とのトークで、3年間の「Girl Locks!」の思い出を聞かれ、リスナーへの逆電をあげたてち。
緊張しているリスナーに(緊張をほぐそうと)つっこんだとき、「バカヤロー」と言ったか言わないかみたいな話になった。じっさいのオンエアを聴き直すと、「おい、うそじゃないよ、緊張してんじぇねえよ」と、てちがリスナーに激しくつっこんでいたが、バカヤローとは言ってなかったことが判明。
とーやま校長は「ばかやろーとは言ってなかったね。吉田茂以来だからね。わかる?吉田茂?」とたたみこむと、てちは「知らないっす」と、かつての名宰相の名前を知らなかったことを認めた。
が、その前に「うふふふ」と愛想笑いをしていたことを、とーやま校長は見逃さなかった。
「(知らないのに)なんで笑ったの?」
「いや、なんかそういう人がいるんだな…と」
「適当に笑ったってことね」と高笑いしたとーやま校長が「吉田茂バカヤロー解散っていうね…」と続けると、
てちは「番組? バンド?」と、とんちんかんな反応。
「なんていうバンド名だと思ってるの?」には「吉田組バカヤローなんとかなんとか…」。
「吉田茂バカヤロー解散っていうバンドね」と、とーやま校長が名称を訂正すると、「が、あったんですか。へえ~」とてち。
「めちゃめちゃカッコいいバンド」
悪ノリを続ける、とーやま校長が「どういうバンドだと思う?」と聞くと、「常にけんかしているバンド」と答えるてちだった
このあとも爆笑ふわふわトークを展開した2人だが、てちは「わからないことを聞くとき、めっちゃおもしろい顔している」(とーやま校長)んだとか。とーやま校長はてちを「相変わらずおもしろいよ」とほめちぎっていた。
てちのラジオ、また聴きたいね。
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ちなみに【バカヤロー解散】とは。
1953年(昭和28年)3月14日の衆議院解散の俗称。
1953年(昭和28年)2月28日の衆議院予算委員会で、吉田茂首相と社会党右派の西村栄一議員との質疑応答中、吉田が西村に対して「バカヤロー」と発言したことがきっかけとなって衆議院が解散されたため、こう呼ばれる。
(ウィキペディア、Wikipediaから引用)
「バカヤロー」と書くと大声を出したような印象を与えるが、吉田は席に着きつつ非常に小さな声で「ばかやろう」と呟いたのみで、それを偶然マイクが拾い、気づいた西村が聞き咎めたために騒ぎが大きくなったというのが実態である。(同、引用終わり)
これは知らなかった。
議場で大声で怒鳴ったもの、と思っていた。てちのこと、笑えないね。
吉田茂は1878年〈明治11年〉、東京生まれ。東大卒。1967年〈昭和42年〉、89歳で死去。
貴族院議員を経て首相に就任。
首相就任期間は1946年5月22日から1947年5月24日、および1948年10月15日から1954年12月10日まで。
なお、麻生太郎財務相(元首相)は吉田茂の孫である。