誰がその鐘を鳴らすのか? テレビ初披露誰がその鐘を鳴らすのか? テレビ初披露

 プロデューサーの秋元康さんにとって「欅坂46」は重荷だったのか。

 坂道やAKBなどの秋元プロデュースのアイドルを見ていると、こんな形容が思い浮かぶ。

 「未熟」の美…。

 オーディションで選んだ可愛らしい中高校生に、歌とダンスの促成栽培。未熟だけど、精いっぱい、けなげに頑張る彼女たちの姿に、同年代の男の子らの共感が集まり、グループの人気を高めていく。

 アイドルの賞味期限は短い。“未熟”のまま終わる子がほとんどで卒業後、ソロ歌手や女優としてはばたくケースはごく少数だ。グループの戦略では、キャリアを積んだ子たちは順次卒業させ、次々と“未熟”を補強していく。

 「(編曲に時間をかけていないため)音がペラペラ」「(秋元さんの)歌詞も(現代に)アップデートできていない」との声もチラホラ聞かれる。あれっ?これ別の曲にも似たような歌詞があったとか、「自転車に乗っている」シチュエーションが多いとか。
 あれだけ多くのアイドルグループをプロデュースし、ほぼすべての楽曲の作詞を手掛けている。秋元さんがいかに天才だろうと、あまりの多忙さに、粗製乱造になってもおかしくはない。

 アイドルおたくの若い世代は、それでも許してくれる。
 自分たちの推しメンが頑張っているし、歌番組でもバラエティーでもいつだって笑顔を見せてくれる。アイドルであってアーティストじゃないんだし、楽曲に目くじら立てることないでしょ、と言う向きもある。
 そうなんだろうね。CD買うのも楽曲が好きというより、握手券目当て。
 運営側が1曲1曲の制作に精根傾けていたら、曲のリリースも遅れがちになるし、前に進まないよね。

 でも、てちは違った。

 

 ライブの演出、セットリストなどにも自分の考えを伝え、秋元さんとの“ホットライン”もある関係だった。たしか、秋元さんがラジオで、てちが「この歌を歌いたい」と言っていたのに、別グループにその楽曲を提供してしまい、怒られたとずいぶん、うれしそうに打ち明けていた。

 きっとある段階まではかわいいだろうね。そんなことまで考えられるようになったか、と成長をいとおしむ。でも、あるラインを超えると、「お前の言うことは正論だけど、まわりをよく見ろ」「青臭い書生論では世の中渡っていけないぞ」と突き放すようになる。

 てちと秋元さんの関係がどうなっていたのかわからない。でも、「表現」の求道者のようなてちと、ビジネス優先の秋元さんのベクトルの違いは顕著なだけに、てちが内心で「この人とはもういいや…」と思っても不思議ではない。

 てちのようなタイプと仕事をするなら、真摯に向き合わないといけない。向き合うのは、相手に対しだけではなく、自分自身とも向き合うという作業が必要だ。これは、相当にしんどい作業だが、仕事師クリエーターにとっては「真剣にさせてくれる相手がいた」と、うれしいものなのかもしれない。「響 ‐HIBIKI‐」の月川翔監督も、「さんかく窓の外側は夜」の森ガキ侑大監督も、てちとの仕事が楽しそうだ。

映画「さんかく窓の外側は夜」に出演した平手友梨奈
映画「さんかく窓の外側は夜」に出演した平手友梨奈

 映画の場合は制作日数が長い。お互いに向き合う時間的な余裕がある。対して、アイドルグループの楽曲づくりには、時間的余裕がなさそうだ。時間がないのに面倒なことを言う存在…。

 秋元さんにとって“誤算”だったのは、欅坂46のファンの幅広さではないか。「アイドルに興味がなかったのに初めてハマった」という人がけっこういる。ベテラン作家、大ヒット漫画家、人気俳優、学者などなど…。

 こうした人たちはモノづくりに敏感だ。あの子がかわいい!とファンになったのではなく、欅坂のパフォーマンスに魂を揺さぶられたわけだから、だれかが手を抜けばすぐわかる。
 
 秋元さんにすれば、やっかいな人たちをファンに取り込んじゃったな、という思いがなかったろうか。欅坂にだけ心血注ぐわけにいかないのに、アイドルおたくではない欅ファンが求めるのは「魂」レベルである。
 
 お手軽にちゃちゃっとつくって、握手券つけて、アイドルおたくに売りまくる秋元商法はコストパフォーマンス優良だ。

 だが、欅坂のメンバーはパフォーマンスの前に、歌詞が伝えようとしている“世界観”を全員で共有、理解するところから始める。
 面倒な連中だよね。忙しいからってテキトーな歌詞書いてたらソッポ向かれそう。

 そして、TAKAHIRO先生の振り付けで“髪まで踊る”パフォーマンスに取り組む。てちがいなくても、残りのメンバー全員がいまや仕事師のようだ。テレビで初披露されたラストシングル「誰がその鐘を鳴らすのか?」も、その前に開催された無観客ライブも素晴らしく、ファンに欅らしさをしっかりと届けた。

 欅坂とは、“未熟”を売り物にする十羽ひとからげの秋元アイドルからステップアップし、“本物”へ向かっていく途中だったのではないか。

 だが、そこには秋元ビジネスの宿命、コストパフォーマンスという壁があった。
 
 「欅坂封印」の理由としてさまざまなことが言われている。
 「センター平手の残像が大きすぎ、新しいセンターが比べられてかわいそう」「欅の主人公“僕”は平手そのもの、平手がいなければ欅も続けられないのは当然」。

 さらには最近の欅OGの素行不良などでイメージダウンさせられたことを「改名」の理由にあげる解説もあった。

 いずれも一理はあるだろうが、決定的ではないような気がする。

 むしろ、秋元康さんの限界…。
 それが真の理由だったのではないだろうか。

 追伸 以上はもちろん憶測、私論にすぎません。秋元さんから反論があれば、いつでもインタビューにうかがう用意はございます。ご連絡をお待ちしております。