カルチャー専門誌「CUT」(ロッキング・オン社)4月号に欅坂46キャプテン、菅井友香のインタビューが掲載されているので買ってきた。
初のドキュメンタリー映画「僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46」のPRを兼ねて同誌に登場した菅井だが、キャプテンとしての苦悩を赤裸々に語っている。とくに「今でも正解がわからない」と2度漏らしているのが印象的だ。
欅坂46に加入したとき、菅井は19歳、大学2年生。「みんなは中高生で、学校の延長線上みたいな和気あいあいとした雰囲気」だった。デビュー曲「サイレントマジョリティー」が大ヒット、「アイドル史に残る」とまで評されるインパクトを与え、その年紅白歌合戦に初出場。
菅井は「ひたすらがむしゃらに、用意していただいたものに必死にくらいついていました」と振り返る。
デビュー翌年、キャプテンに任命された。メンバーの中では最年長とはいえ、「家では妹」「みんなを引っ張っていくタイプでもなかった」菅井は「ここから変わっていかなきゃいけない」と自らを叱咤したという。
総勢21人の大所帯、普通でもまとめるのは難しい。飛ぶ鳥を落とす勢いのアイドルグループ、まばゆいばかりのスポットライト。中でも、センター平手友梨奈の圧倒的な存在感は、過去にも例がない。
俺も、MVを見るたび、いつもセンターばかり目で追ってしまう。「じゃ、なに? センターだけいればいいんじゃないの?」とか「私だってセンターできるわ」とかグループ内にさざ波が立っても不思議じゃない。そんなグループをまとめろと言われたら、俺なら逃げたくなるな。
ときに天然の、ほんわかとした雰囲気が持ち味の菅井だが、後から振り返ると、キャプテンにもっともふさわしかったのは彼女だったのかもしれない。
具体的な状況は明かしてないが、「本当の意味で、だれかを守るというのは、その人を傷つけてしまうことでもあるんです」「人間の想いはいろいろあって、それぞれの心のキャパがあったり、心や体の強さも違う」など、苦悩の深さをうかがわせる言葉もあった。
ここからさらにインタビューは、核心に迫っていく…。
2017年の夏のアリーナツアーの途中から平手が出演できなくなった。当時のことを聞かれた菅井は「ある意味、現実を突きつけられる瞬間」「てちの存在の大きさももちろん感じた」としたうえで、「だからこそ『自分たちの存在価値とは?』『どうしたら力になれるんだろう?』っていうことも、すごく考えるようになりました。あの時、どうするのが正解だったのかは、今でもわからないですけど」と振り返った。
2周年ライブでは、不在の平手に代わって何人かがセンターを務めたが、メンバーの中には「てちはどう思うんだろう?」「彼女の居場所をなくしてしまうんじゃないか?」と不満がくすぶっていたといい、「そういう意味で代理に立つということは、それぞれに怖さがあったと思います」と打ち明けた。
菅井も“魔曲”と評される「不協和音」で初センターを務めた。「この曲は、本当に難しい」「精神的にとてもきつかった」と漏らす。
「不協和音」の主人公《僕》と菅井は真逆に近い存在。「普段は抑え込んでいる怒り、不安とかを爆発させてリミッターを外す。そういうのは普段の自分にはできない」「自分が初めてセンターに立って、周りから殴られる振付に囲まれると、本当に感じるものが全然違った」という。
絶対的センターだった平手については「人格を変えてしまうくらいに作品にのめり込むことができる人」と論じた。菅井は、平手に向かって「すごい」「尊敬していた」という言葉もかけるが、キャプテンの立場からは、違った胸のうちも吐露した。
「もっとグループとしての見られ方という点で調和をとりたかった。そうすることの難しさを感じる瞬間も、正直なところ多かった」
菅井は「不協和音」のパフォーマンスでは、「(センターの)てちを引っ張って振り払われたりする」ポジションが定位置だった。
「彼女はすごく役に入り切っちゃうので、この曲の時期とかは、声をかけても反応してもらえなかったり、力になりたいと思ったのが裏目に出てしまったりすることが増えて『難しいな』と感じることが多かった。『もしかしたらあまり近づかないほうがいいのかもしれない』と思う時期もありました」
てちは「表現者」として「不協和音」で覚醒したといわれる。覚醒すればするほど、メンバーとの隔たりも感じさせたのだろうか。
菅井は、8曲目「黒い羊」のときも「てちとの関係が難しくて…」苦悩を深めたという。
「この表現があっているのかはわからないんですけど、人の意見にも黒とか白とかがある中で、いいあんばいのグレーをみつけていくのが私の役割だと思っている。でも、てちはその曲の人になってしまうから、グループの中のいいあんばいを見つけるのがすごく大変でした。センターのてちとキャプテンの私がタッグを組んだら、もっといいグループになれるというのはわかっていましたけど、黒い羊は、そこが難しかった」
他のメンバーのことも心配していた、という。
「てちだけじゃなくて、繊細な子が多いんです。本当に追い込まれちゃう子がいたので、それが心配でした」「この曲が持っている難しさに影響されて、作品作りになかなかついていけなくなるメンバーもいました。でも、どうすることが正解なのかは、わからなかった」
ドキュメンタリー映画については、こう語っている。
「てちも、センターだったことによっていろいろ誤解されていた部分もあったように思うので、彼女の抱えるつらかった気持ちとかも、この映画が公開されることによって癒せたらうれしいです」
いまとなっては、てちも、ねるも、ずーみんも、おだななも、もんちゃんも、まなかも、よねさんもいない。
キャプテン菅井のインタビューを通読して、だれが悪いわけではない、と思った。みんな全力だったんだろう。ひたむきに欅坂の楽曲を届けてくれたことに感謝したい気持ちになった。
そして、欅坂という急坂を、全力でひたむきに、ときにけなげで、はかなさも身にまといながら、駆け抜けた21人(に加えて2期生やひらながけやきのメンバー)の姿を目に焼き付けたいと思った。
(同誌から)
最後に“ゆっかー”は茶目っ気たっぷりにインタビューを締めくくっている。
「ポップコーンを食べる余裕がある作品になっているかは、わからないですけど」