石森虹花の「罪と罰」

 欅坂46の石森虹花が30日、「ファンの皆様へ」と題して2か月ぶりにブログを更新、この日限りで「卒業」することと、「温かい言葉」で支えてくれたファンへの感謝の気持ちを伝えた。

 あまりに冷静で、きちんとまとまった一文だったので、もしかすると本人が書いたわけじゃないかも、と思った。もし僕が彼女の立場だったら、感情が千々に乱れて、ああは書けなかっただろう。推測だが、スタッフさんが代わりに書いて、虹花に「これでいい?」と確認して掲載したのかもしれない。

 文春砲については、公式サイトの「関しまして」も、ブログもいっさい触れていない。一部には「卒業発表にあたって謝罪しろ」との意見もあったが、運営は運営なりに、文春砲を無視することで、アイドル石森虹花の名誉を守ったということなんだろう、と僕は解釈した。

 公式サイトやブログの文章は、後々までも引用される。卒業の理由は「本人の意向を受け入れ」「新しい道を見つけ前進」ということだった…で、いいじゃないか。

 

 「罪と罰」…。

 「罪」を犯すと、その罪の重さに応じた「罰」を受ける。
 
 虹花は「卒業」(人によっては契約解除とも)いう罰を自ら受け入れた。が、そもそも、あれを罪というのだろうか。犯罪でも、不倫でもない。

 虹花が犯したのは「過ち」ではないか。
 過ちなら「反省」してやり直す道があってもいいのではないか。
 アイドルファンのみなさんって、人の過ちを許せないほど、心が狭いのだろうか。

 話は変わるが、元ジャニーズの手越祐也は、自身のYouTubeチャンネル「手越祐也チャンネル」で、最近の芸能界について、次のように語ったという。

 「芸能人は人間の鑑ではないと思うんです。あくまでもパフォーマー。もちろん憧れられる存在でないとダメとか、ファンに夢を与える存在というのは大前提であるとして、なんか最近の芸能界は『芸能人たるもの人間の鑑であれ』というのがちょっと強すぎるなっていうのを感じますね」

 「神様みたいな人って芸能界だろうが政治家だろうが存在しないと思うんですよ。法律も完璧じゃないし、人間だって完璧じゃない。だったら、みんなが困った人とか過ちを犯した人に手を差し伸べて『一緒にもっと笑顔になるためにパフォーマンスをしようよ』っていう芸能界に変わってほしいと僕は思っています」

 同感する。

 ところで、欅坂46の運営。
 ドキュメンタリー映画は上々の評判だが、「大人の責任」は、いつ見せてくれるのだろうか。