「田村淳はこの先日刊スポーツの取材に応じることはない」に思うこと(1)

 このところ、マスメディアに対する「批判」が高まっている。“マスゴミ”と誹謗中傷する向きもある。長く新聞記者をしてきた身としては悔しいし悲しい。

 2日、ロンドンブーツ1号2号の田村淳さんが自らのYouTubeの「ロンブーチャンネル」で「田村淳はこの先日刊スポーツの取材に応じることはない」と宣言する動画を投稿した。

 この動画ではじめていきさつを知ったが、淳さんの言っていることは、もっともだな、と思った。

 発端は5月20日午後4時ごろ、彼のツイッターでの発言をニッカン(日刊スポーツ)がネットニュースにしたこと。
 タイトルは「ロンブー田村淳『暴論すぎ』タレント候補の出馬批判」だった。

 彼がタレント候補の出馬を批判していると受け取れるが、本文を読むとまるで逆だった。タレント候補たちの出馬を批判する意見を、彼は「暴論」と逆に批判していたのだ。

 彼が抗議すると、見出しがそっと訂正されたという。

 見出しは「ロンブー田村淳『暴論すぎ』芸能人候補の出馬批判に」と変更された。 

 彼としては、訂正するなら「なぜ間違ったのか?」を含め、読者にきちんと説明する責任がメディアにあるのではないか、と考えていたため、ニッカンの対応に不信感を持ったという。

 その後、両者の話し合いが行われ、翌日、ニッカン側が「田村淳さんの記事見出しに誤りがありました」と“お詫び”記事を出している。「田村淳さんご本人と、誤解を招く見出しを目にされた読者の皆さまに深くおわびいたします」と謝罪した。

 この点については、ニッカンの肩をもつわけじゃないが、新聞社としては異例の対応だったと思う。僕が現役記者だったころ、「訂正」記事はめったに出さなかった。出したとしても、新聞のほんの片隅に数行、目立たないように掲載された。正直なところ、「間違えたんだからもっとちゃんと謝るべきでは…」と不可解に感じたこともある。

 新聞は「反権力」を標榜している。ペンひとつで巨大な権力に立ち向かう。権力を振りかざしてくる連中に一度でも頭を下げてなるものか…という、まっとうな社会からはみ出した「アウトサイダー」としての“矜持”がそこにあった、と自分自身では考えていた。

 ま、それはさておき、本題に戻ると…。

 いったん、ほこを収めた淳さんだったが、次に、ラジオ番組での発言をニッカンが記事にしたことで両者の軋轢が再燃した。

 記事は「ラジオのコメントを抜粋」したものだったが、発言を「ねじ曲げた形」で掲載されていたという。そして記事だけ見て淳さんに「悪意」を持った人たちが「誤った形で拡散」した。

 その後、記事は削除されたという。淳さんは「なんの説明もなく削除された。削除するなら削除の理由が必要だと思う。実際問題、記事が一度メディアに出たら、ものすごい人数が(その記事を)見る。誤解したままの人がいる。大元が釈明しないと、誤解を晴らせない」と憤っている。

 こうした経緯で、彼はニッカンと「距離」を置くことを決め、「この先日刊スポーツの取材に応じることはない」と宣言した。

 彼の指摘や投げかけた疑問は、当事者のニッカンだけではなく、マスコミ全体が正面から向き合わなければいけない課題だ。

 (1)なぜミスしたのか?本文と見出しがまるで逆なのはどうしてなのか?

 ニッカンの“エース記者”(吉本興業担当)が淳さんとリモート対談し、「忙しかったから」と説明しているが、これは言い逃れにすぎない。

 記者は絶えず締め切りに追われている。締め切りギリギリにホットニュースが飛び込み、大慌てで記事をさしかえることは日常茶飯事。「忙しいから」見出しをミスする、といった言い訳は通用しないし、そもそも、そんなシロートみたいな記者はいない。

 記者にも2つのタイプがある。
 ひとつは取材記者。
 僕の場合は、政治担当で首相官邸詰めも経験し、官房長官の定例会見や、その後のオフレコ懇談などに出席した。どこかにスクープはないか?とアンテナを張り巡らし、記事を書いた…というとカッコいいけど、「情報収集」の名目で、毎晩赤坂あたりで飲んだくれていた。

 僕たち現場が書いた記事を、数々のニュースの修羅場をくぐり抜けてきたデスクがチェックしたうえで、整理部(整理記者)に渡し、彼らが各記事に見出しをつけ、紙面をレイアウトしていく。

 取材記者と違って、整理記者はほとんど外に出かけることはない。取材記者がまとめた記事をじっと待っている。時には、さきほど言ったように締め切り間際のドタバタ騒ぎもあるが、彼らは瞬時に見出しをつけ、紙面を完成させていく。

 縁の下の力持ちといえよう。派手ではないが、読者に最初にアピールするのは見出しなので責任は重い。整理記者たちも何年、何十年と新聞社内で訓練されていく。

 淳さんは不思議がっていたが、取材記者が見出しをつけることはない。仮見出しをリクエストすることはあるが、原則、見出しをつけるのは整理記者の役目だ。
 取材記者の場合、自分が書いた原稿に思い入れがあるので、「この部分も見出しをとりたい、ああ、ここも…」ととりとめがつかなくなる。記事を書くのと、見出しをつけるのは、まったく別のセンスが必要なのだ。整理記者は、何十年もかけて、その特殊技能を磨いていく。

 さて、紙面のレイアウトが出来上がると、ゲラ刷りを印刷し、間違いがないかチェックしていく。ゲラ刷りを出す時間的余裕がないときは、モニター画面で整理部の責任者や取材記者らが最終チェックをする。
 つまり原稿は、取材記者→デスク→整理記者とわたり、ゲラ刷り(時間がないときはモニター)で最終チェックし、紙面が出来上がるという流れ。複数の人の目が、原稿をチェックしていく。

 一方、ネットニュースでミスが起きる原因は、そのシステムにあると思う。
 紙面のゲラ刷りのような赤字チェックの仕組みがない。書き手→デスクに原稿がわたって、さーっと目を通しただけで、すぐにアップロードされる。特殊技能を身につけた整理記者が編集過程で加わるような仕組みになっていない。だから、誤字脱字、てにをはのミスも多い。

 ネットニュースの書き手自体にも問題がある。「テレビ見て書くだけのネットニュースなんか、だれでも書けるでしょ」と思っている人が多いだろうが、新聞社の幹部もそう思っているフシがある。ライター経験すらない人がネットニュースを書いているケースもあるようだ。

 僕がまだ古巣の新聞社にいたころ、ネットニュースの萌芽期だった。ヤフーへの記事配信も始まったばかりだった。そのころ、ネットニュース部門に配属されたのは「政治部でも社会部でも経済部でも使いものにならない、ネットでもやらせておけ!」といった人材が大半だった。言葉は悪いが、新聞社内の掃き溜めみたいなところだった。今はわからないが、体質的に相当古い新聞社の場合、そう変わっていないかもしれない。

 ニッカンの記者は「ネットファースト」という言葉を使った。
 ご存知のように、もはや「紙」が売れる時代ではない。ニュースも大半の人がネットで知るようになった。新聞社の落ちこぼれ軍団がいまや新聞社の根幹を支える収益部門に成長したのだ。そう考えると、「痛快」でもある。

 が、問題は残ったままである。

 まずは人材。「ネットファースト」という言葉で理解していただけるだろう。ファーストだったらわざわざファーストとつけない。ニッカンに限らず、新聞社では相変わらず「紙」がファーストだ、ということを表している。ネットファーストにするなら、人材の活用、配置も紙からネットへ、大転換すべきだろう。

 次にミスをなくすチェック体制の不備。これは前述したとおりである。

 3点目は、ネットニュースへの甘え。
 これが、もっとも重要なところかもしれない。「公器」と信頼されてきた「紙」の記事で間違いは許されない。僕たちはそう訓練されてきた。とくに告発記事のような、だれかと戦わなくていけない場合、「てにをは」まで一字一句ミスがないか神経をとがらせた。

 一方、「しょせんネットニュースなんだから…」という甘えがなかったか。

 淳さんは「コピベ記事」(ツイッターやブログをコピベしただけの記事)、「こたつ記事」(取材に出かけることをせず、テレビやラジオの内容を部分的に書き起こした記事)のことも批判していたが、ネットニュースを流す側にも、「どうせ暇つぶしに読み飛ばされておしまいの記事」という安易な考えがなかっただろうか。

 ニッカンの記者は淳さんの疑問に正面から答えなかった。
 僕が代わりに答えるとするなら、乏しい人材、チェック体制の不備、甘えの3点が、ミスを起こした原因と指摘したい。

 (この項つづく)