【コロナが憎い!】
東京都東村山市の駅前に大きな「欅」の樹があり、「志村けんの木」と呼ばれている。同市出身のタレント、志村けんさんがテレビで「東村山音頭」を披露したことで同市の知名度が飛躍的にアップしたことを感謝し、昭和51年に3本の欅が植樹されたという。また、志村さん直筆の看板も飾られ、市の名所になっていたという。
東村山市HP
志村さんは新型コロナウイルスに感染、入院中だったが、懸命の治療もむなしく29日夜、息を引き取った。享年70。逝去のニュースが速報で駆け巡った30日朝から、志村さんを追悼する声が相次いでいる。長年「ドリフターズ」のメンバーとして苦楽を共にした加藤茶(77)は「ドリフの宝、日本の宝を奪ったコロナが憎い」と無念の思いを明かした。
【もうひとつのショック】
志村さんの訃報の数時間前、「欅」をもう一つショックなニュースが襲っていた。
29日夜、欅坂46の公式サイトで、長沢菜々香(22)の卒業が発表されたのだ。「急なご報告」と詫びているが、卒業は2日後の3月31日となっていた。「本人の意向」を受け入れた結果とも説明していた。
長沢は2015年8月に結成された欅坂46の一期生メンバー。「なーこ」「長沢くん」などと親しまれ、握手会では人気上位だった。また、「けやかけ」などのバラエティー番組では「死んだら棺桶にポップコーンの種を入れて。パチパチ音がして楽しいから」といった不思議発言を連発、かわいい容姿と裏腹の、サイコパス的な“なーこワールド”で異彩を放っていた。
たとえるなら欅坂の“バイプレーヤー”か。主役はてち、ねるだったろうが、ときに主役までも食ってしまう類まれな存在感。歌もダンスも苦手と自ら語っていたが、努力を重ねて4thシングル「不協和音」ではフロントを勝ち取っている。
「卒業」発表の直後、なーこ推しの人たちが動画をアップしていたが、「あまりに急…」と絶句する姿があった。
脱退のてちや卒業のおだなな、すずもんの「この日をもって」よりはマシとはいえ、発表の2日後に卒業という急展開。
【なぜ急ぐ?】
なーこの「卒業」がやむを得なかったとしても、なぜ、発表から卒業まで、そこまで急ぐのか。ファンの方たちからすると、卒業を受け入れ、新しい旅立ちを祝う思いになれるまでの時間がほしかったろう。欅坂の功労者のひとりであるなーこに、ファンの方たちが心から「卒業おめでとう」と送り出す仕掛けや段取りを用意してほしかった、というのが正直な感想だ。あまりに急な発表の仕方には、冷たさしか感じない。
長沢自身も昨夜、ブログを更新。「23歳という人生の節目を目の前に“夢に向かって一歩目を踏み出したい”と決心して卒業という選択をしました」と報告した。「私は18歳の時に欅坂46に加入しました。ずっと夢だったアイドルになれ、この4年間は人生でかけがえのない思い出です」と振り返っているが、続く一文に、個人的にはちょっとひっかかった。
「中でも、りぼんのお仕事は自分の中で一番好きなお仕事でした。温かい読者の方、編集部の方や漫画家さんと関わることができて本当に良かったです」と綴っている。
一番の思い出は「ライブ」とか欅坂の活動じゃなかったんだ…。
(ブログから)
本人的にも欅坂の活動に冷めていたのかもしれないね。
【謙虚!優しさ!絆!】
円陣のときの合言葉「謙虚!優しさ!絆!キラキラ輝け欅坂46!」をふと思い出した。
今朝からずっとなーこの過去動画を見ていたが、よねさん、おだななと一緒に「SHOWROOM」に登場しているとき、すっごく楽しそうだった。でも、もう、よねさんもおだななも卒業してしまった。
やむをえないことなのかしれない。また一葉、また一葉と散っていくのは…。ただ、そのたびに「絆」が奪われたような気がしてならない。
「この21人がいい!」。てちだったかな、だれかがそうつぶやいている言葉が今も印象に残っている。21人が懸命にお互いを支え合っていたのかもしれない。
欅とは「高さ20~25mの大木」に育つ。木目が美しく、磨くと著しい光沢を生じるのが特徴。「日本三大ケヤキ」といわれる東根の大ケヤキ(山形県東根市)は樹齢1500年になるという。
てち、ねる、なーこがいた欅坂46も、芸能界で「著しい光沢を生じる」大木にまで育ててほしかった。